Life is Live! / fumy.jp / FUMIYUKI BEPPU OFFICIAL WEB SITE
  • twitter
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • RSS
Library

パリ〜ルーベ出場記念 vol.2 パリ〜ルーベ・エスポワール2003、2004

■パリ〜ルーベ・エスポワール2003
フランス2年目、2度目の出場。

2003年6月1日

どうもこんにちは、昨日レースから帰ってきたのですがあまりの道の悪さに腕がまだガタガタして動いて握力がなくなって足よりも上半身にすごい疲れを感じています。

まずこのレースの説明をするべく去年の話も交えて書きたいと思います。このレースは、パリ〜ルーべといってこっちではとっても有名なレースです。コースの途中には昔ながらのヨーロッパを思わせるパヴェ(石畳)がいくつも存在します21セクション計40km。しかしながらこの石畳は、おしゃれな感じの石畳ではなく。とっても凸凹していてとても普通の自転車で通るような道ではありません。車でもあまりの凹凹さに参ってしまうくらいです。こんなコースでやるから、「北の地獄!」なんて呼ばれているレースなんです。

僕がでたパリ〜ルーべ・エスポワール(23歳未満のアマチュア対象)は、いくらアマチュアと言ってももう来年プロになるような選手が山ほど出場します。誰しもこのレースを目指して勝ちにきてるわけですから、とっても大変なレースなのです。

それで去年、僕は、2度のパンクと同じチーム選手のために仕事をして走りましたが、怪我もせず無事に28位で完走。なんと19歳で最高位でのゴールでした。そのため今年はトラブルに見まわれないで走れれば結構良いところまで行くと監督に言われていました。それにこの日のために調整して万全な体調でのぞんだので、普段よりも高い集中力を持っていました。

何よりも楽しかった……。

さて今回のコースは180km。ド平坦。途中21回パヴェあり。石畳区間は計40km。出走者260人。天候は晴天。おもな参加チームは、ヴェロテックス(ITA)、ビックマット(FRA)、バンデーU(FRA)ゴーパス・ロット・ドモ(BEL)、ラボバンク・エスポワール(NED)クイックステップ・エスポワール(BEL)、アメリカナショナルチーム(USA)、オランダナショナルチーム(NED)、ドイツナショナルチーム(GER)、パノリモ(FRA)、シャトールー(FRA)他たくさん強豪のチームが参加。

前日の天気予報を聞いて、雨が振るんではないかと心配していたチーム一同。しかし幸運にも雨は振らなかった。もし振っていたらみんな石畳の区間で石畳から滑り落ちて落車していたことだろう……。「石畳ですべり落ちる!?」って思うかもしれませんが、本当に滑ったら端の溝におっこちるんです。普通の石畳じゃないんです……。

レーススタート! 260人もの多人数!道幅いっぱいに選手たち!これじゃぁどうにもこうにもなりゃしません。しかし、まだ先が長く何が起こるか分からないのがロードレース。70kmくらいまで集団は落ち着いて走っていたが最初のパヴェ(石畳)のセクションに近づくにつれてドンドンペースアップしていく。

やはり最初にかけ抜けた方が安全だからだ! なんといっても怖いのが前の選手が落車してしまって、それに突っ込んで自分まで落車してしまうのが一番きつい。だからそういうことは、みんなどうしても避けたいのだ。それではじめのパヴェにさしかかったところからレースは始まった!

はじめのセクションは30番くらいでクリアした。後ろのほうで騒ぎ声が聞こえる。多分落車やパンクをしたんだろう選手たちが叫んでいるのであろう! そんなことを気にしてる場合ではなく、自分も集中していないといつ自分にもこう言うことが起こるか分からない。

2〜3セクション終了時点で集団は半分以下になっていた。その後のセクションの入り口に入ったとき、ちょうど目の前で大きな落車が起こった! そこで僕は自転車を担ぎスルスルと抜けて、そのトラブルを回避した。

するとどうだ! もう後ろの集団が半分以下に。僕は後ろのことなどおかまいなしに石畳を全力で通過。先頭12人の中には僕を含む有力な選手たちがたくさんいた。僕はそこの集団にいてもアタックをしつづけた。この無意味に思われるアタックもここのパリ〜ルーべでは通用する。「前に前に前に行かなきゃ!」がとっても大切で、去年みたいに落ち着いて相手の様子を伺いながら走ってはいけないんだ!と言い聞かせて、今年はガンガン攻めていった。

しばらくアタックが決まらず走っていると補給地点にさしかかった……。しかしどんなに探してみてもうちのチームの補給だけがない。これは困った。今日はとても暑かった。あとから聞いた情報によると35度を超えていたらしい。もうボトル(水筒)の水も空っぽの状態……。「いったいどうしていないの?」なんて悔やんでたけれど、先にいることを信じて補給地点でもアタックして5人くらいの逃げをつくった。しかし、後ろもそう簡単に許してくれなかった。

そして去年走って見を覚えのある道に出てきて、「あっ! 次パヴェじゃん!」なんとしても前方で通過しなきゃいけないと思い前にでていった! そしたらちょうどパヴェの目の前でうちのチームが補給してるじゃありませんか!? 「なんでここなんだよ」って怒鳴りたかったけど、大切な水に変えられないと思いありがたくサコッシュ(手さげ袋)の中のボトルと補給食を背中に入れた。ってことをやっていたらそこでとっても重要なアタックが決まってしまった! パヴェで頑張っておっても前がつかえて追えない状況に……。

なんてことだ! こんな大事なところで逃げを許してしまうなんて……。7人の逃げが決まってしまい、それを見送ることしか出来なくてなんて虚しいことやら。でもまだレースはここで終わったわけではない! まだ前の集団が見えている。これから追いつくかもしれない。そう信じて少し様子を見てみることにした。

しかし一緒の集団にいるラボバンク、クイックステップ、ゴーパスの選手が全然引こうとしない。僕は無謀にも前に追いつこうとして前を追った! 頑張った。しかしだいぶ疲れてきて、。身体がだんだん言うことをきかなくなってきてしまった。次のパヴェでは遂に遅れてしまった。「ゴール間近なのに……」「あれについて行ければ一ケタ台の順位でゴールできるのに……」。無念。そこで集団からちぎれてしまった3人で一生懸命最後のパヴェを走っていると、後ろからバンデーUのZEN JEANが猛スピードでやってきて、勢いよく抜いていった! あらら……。

もう前が見えなくなってしまった。スピードが緩んでいて、そこから彼を追い上げるには少し力不足でした……。しかしこのままじゃ終われないと思い一生懸命に走ったが、一緒にいた2人の選手がローテーションに加わってくれない。デンマークのチームのやつとフランスのルーべの選手が全然走れない。ここはひとりで行くべきだと思い、一生懸命走るがなかなかチギルことができずに、そのままゴールのルーべまで来てしまった。

きれいな大通りを走ってそこからペロドローム(自転車競技場のトラック)に向かう!そこを1周してからゴールなので、相手を牽制しながら、鐘が鳴りラスト一周! 最後に自分からしかけてゴールに突っ込んだがルーべの選手にちょびっとさされて負けてしまった。結局14位(※)でゴール。悪くない成績だった!

確かにもうひとふんばり足りなかったけど、みんな僕のことを評価してくれた。本音をいうともう少しいけると思ったんですけど、今の僕にはこれが精一杯なのかなって……。それでリザルト(順位表)を見るとトップから1分30秒遅れ! 「うわっ!大して差がない!」って少し興奮した! それで途中、僕らを抜いていったバンデーUのZEN JEANは7位!でゴールしていた。

なんてこった...。まったく。しかし、こんな有名な選手、有名なチームと互角に走れてるわけだ! そう思うと嬉しくなった! はじめのほうでレース中、楽しくなって笑って走っていたのは僕だけなんじゃないかな……。本当に楽しく走れた!。

僕はいままで日本人の考えの枠を越えるように意識していました。普通だったらこっちの低いレベルで勝ったら日本では評価される。しかし、こっちでは違う。フランス人の考えと日本人の考え方は違うんです。しかし、このレースを終えて帰りの車の中で元プロの選手だったアレン監督は「フミは来年勝てるかもしれないぞ! まだ20歳だろ! あと二年もあるんだ!」なんて言ってくれた! つまり日本人とかそういう枠を超えて選手としてこっちで通用することを認めた証拠でしょう! 僕はこれを待っていたんです。こうやって頑張ったらこっちでは評価されるんです。

だからとってもココロに残った楽しかったレースでした。今年はパンクもしなかったし、トラブルが起こらなかったからとっても助かった。それでうちのチームメイトは僕以外は全員リタイア。260人近くの選手が走って完走はたったの40人。激しいレースなのが分かります。

またこれを気に気持ちを入れ替えてこれからも頑張って行きたいと思います!!

※優勝した選手は後日ドーピングテストで陽性反応が出て失格処分になり、フミの最終成績は13位となりました。

パリ〜ルーベ・エスポワール2003 リザルト(cyclingnews.com)


■パリ〜ルーベ・エスポワール2004
フランス3年目シーズン、アマチュア最後の年となった。

2004年5月30日

自分にとっての大一番のパリ〜ルーべ。
距離176km。出走230人。天気は大雨。

結果は最初のパヴェ(石畳)に入る前に自転車のチェーンが切れて、その後自転車を交換して追い上げるも、チェーンの切れた場所が悪く、最初のパヴェの区間で立ち往生となってしまった。なぜならば道幅が狭い上に、落車する選手やパンクする選手、そして多くサポートカーが入り交じっていたからだ。さらに諦めずに1人で必死に追い上げたが追いつかなかった。

悔しくて悔しくてたまらなかった。
調子は悪くなくこの日にすべてをかけていたのだから……。
そして監督からの指示で降りるように言われた。
翌日にもフランス国内の大きな大会が控えていたからだ。

レース後、ゴールする選手たちがパラパラ帰ってきた。
1人、2人……。

こうしてみると去年13位だったのはかなり良かったと思った。

しかもそのときのトップの1分30秒差なんてホンの少しの差だったのだ。

自分には力もチャンスもあるのだから、それを気持ちを変えてこれからまた走ろうと思った。

コメント

Facebookの別府史之オフィシャルページも「いいね!」して共有しよう!

コメント(2)

フミは、若くしてプロの世界にいたのですね?貴重な体験をすることが出来、大きく成長してください。
Paris-Roubaix応援しています!

自分の走りを細かく分析して、感じた事を素直に伝える。妥協せず反省を次に活かす努力をする。
別府さんはいまも昔もそういう人なんですね。
常に前をみて、上を目指して、いまの自分に満足せずにもっともっと強い自分を目指してますよね。ず?っとそうやって走り続けてきたのではないでしょうか。
2001年よりも2003年、2004年よりもぐ?んと成長した別府さんの姿が見れることがすごく楽しみです。

コメントする

Life is Live!
BLUEFORT